芸能(伝統文化) 平安時代
遣唐使が廃止され、唐文化の流入が止まると我が国の国風文化が起こり、衣服についても、日本化が著しく、貴族階級に支えられ、衣服文化も頂点に達する発達を見せた。男性の束帯、衣冠、直衣、狩衣その他多くの制服、女性の五衣唐衣裳(十二単)や小袿などが国風化した宮廷を華やかに飾った。平安貴族の衣生活は、極度に発達した。そして、形式美の頂点を示したが、次第にその形式が固定し制度化された。厳密な慣習法が成立した。衣服の他にも慣習法が作られこれ全体を「有職故実」と呼ぶようになった。平安貴族だけではなく、後世までの宮廷生活はもちろん、そのような影響を受けた神社、武家社会にも同じような慣習法が成立。神社有職、武家有職などがそれである。例えで言うなれば、「忠臣蔵」の吉良上野介が江戸城内で権威ある指南役として諸大名を指導したのは、この武家有職に通じた「高家」という世襲的家系の当主であったからだ。
花 茶の花
茶の花の花期は、秋末から初冬にかけてで、白色五弁の小さな花を咲かせる。多数の金色のしべがこの花の特徴である。茶畑の外や垣根にもよく植えられる。野生の茶の木は山中に自生。だが、茶の栽培は日本に臨済禅を伝えた栄西に始まると言われている。椿、山茶花と同類ながら、それほど華やかではなく、「わび」「さび」または「冷え」「やせ」「からび」そのものを見せているような花が、茶人達に喜びを与えた。俳諧師のしこうにあって、「花火草」「世話尽」「毛吹草」「増山の井」を掲出された。「宇治橋の神や茶の花さく姫」宗因。「何となく茶の花をかくし伏見山」信徳。「茶の花や石をめぐりて路を取」蕪村。「茶の花にかくれんぼする雀かな」一茶。
古代 10月、11月
冬の星…天の川、あるいは星月夜は古代から代表的な秋の景とされているが、星そのものは、冬矢。双子、オリオンなどの星座が次々に上りさんごうを放ちつつ西空移る。荒星と言っていい強さを示す。天頂の昴‼️辺りに巨大な舌状の光が見えるが、これは天の川ではなく「黄道光」と称する寒夜の奇観であるという。
神渡し…神無月に吹く西風の事。この月は諸国の神々が出雲大社に集まるので、その神々を送る風の事をいう。「物類称呼」と言われて伊豆鳥羽地方の船乗りの航海用語。
くだらの…枯野の事で、「万葉集」の山部赤人の歌「百済野の荻の古枝に春待つとをりし鶯鳴きにけむかも」の歌意を誤って、地名である百済野は奈良県の地名で、かつて百済から帰化人が住んだことで名付けられ、敏達天皇の皇居や百済大寺などを建てられた。くだら野や人を喰ふく鳴く鳥「一茶」